【人事担当者必見】「電産型賃金」を徹底解説!日本の賃金制度の歴史と現代の人事戦略への活かし方

人事

人事担当者の皆さん、日々の業務お疲れ様です。

皆さんは「電産型賃金」という言葉を聞いたことがありますか?

賃金制度の設計や見直しを検討する中で、耳にする機会があるかもしれません。

この電産型賃金は、日本の賃金制度の基礎を築いた、とても重要な概念です。

現代の多様な賃金制度を深く理解し、これからの人事戦略を効果的に進めるためにも、そのルーツを知ることは欠かせません。

この記事では、電産型賃金がどのようなものだったのか、なぜ日本の賃金制度に大きな影響を与えたのか、そしてそれが現代の人事戦略にどう活かせるのかを、人事担当者の皆さんに分かりやすく解説していきます。

歴史を知ることで今やこれからの人事をアップデートしてより良い会社作りをしていきましょう!


「電産型賃金」とは?生活保障を重視した日本の賃金制度の原点

電産型賃金は、第二次世界大戦後の混乱期、1946年に電気産業の労働組合が中心となって確立した賃金体系です。戦後の厳しい経済状況の中、労働者の最低限の生活を保障することを最優先に考えられたのが最大の特徴です。

月例賃金の約80%を生活保証給などが占める平均的構成割合を持っていたとされています。

当時の日本は、食料や物資が不足し、多くの人々が明日の生活さえ見通せない状況でした。こうした中で、労働組合は「労働者が安心して暮らせる賃金」の実現を強く求め、経営側との交渉を通じてこの賃金制度を確立したのです。

電産型賃金は、その成り立ちから生活給としての性格が強く、賃金の大部分が社員の生活を支える費用に充てられる仕組みでした。


電産型賃金の主な構成要素と、当時の年代別給与イメージ

電産型賃金は、主に以下の要素で構成されていました。

これらの要素が、現在の年功序列賃金の原型となりました。

  • 本人給(年齢給): 社員の年齢に応じて支払われる基本給の部分です。年齢が上がるにつれて賃金も増える仕組みでした。
  • 家族給: 扶養している家族の人数に応じて支給される手当です。家族が多いほど生活費がかかるという実情を反映していました。⇒現在も家族手当や扶養手当で支給している会社が多いですよね!
  • 勤続給: 会社への勤続年数が長くなるほど賃金が増える部分です。長く働くことへのインセンティブであり、企業への定着を促しました。
  • 能力給: 個人の能力に応じて支払われる部分。ただし、現代の成果主義的な能力給とは異なり、勤続によって培われる熟練度合いを評価する側面が強かったとされています。

これらの要素から、電産型賃金が「個人の生活状況」や「時間経過に伴う変化」を賃金に大きく反映させていたことがお分かりいただけるでしょう。特に年功序列型の賃金体系になっていることがお分かりいただけると思います!

【年代別の給与イメージと当時の平均給与(1950年代~1960年代頃の傾向)】

電産型賃金が全盛期だった1950年代から1960年代頃の年代別給与イメージを、当時の平均給与を参考に見てみましょう。当時の貨幣価値は現在とは大きく異なるため、あくまで傾向を掴むための参考としてご活用ください。

  • 20代前半(独身・新入社員~若手):
    • 特徴: 本人給や勤続給はまだ低く、家族給も基本的にありません。生活保障を重視しつつも、給与水準はまだ控えめでした。
    • 給与水準イメージ: 月額1万円~2万円台後半(当時の大卒初任給は1万円前後)
  • 20代後半~30代前半(結婚・家族形成期):
    • 特徴: 年齢とともに本人給が着実に上昇し、結婚や子どもの誕生で家族給が加わることで給与が大きく伸びる時期です。まさに生活保障の考え方が色濃く反映される年代でした。
    • 給与水準イメージ: 月額3万円~5万円台
  • 40代~50代(働き盛り・熟練期):
    • 特徴: 本人給、勤続給ともに最高水準に達し、多くの家族を扶養する中で家族給も重要な要素となります。当時の管理職は、これに加えて職能給や役職手当などが加わりました。
    • 給与水準イメージ: 月額6万円~10万円以上

【当時の平均給与】

非常に大まかな参考値ですが、例えば1955年(昭和30年)頃の日本のサラリーマンの平均月収は、

おおよそ2万円台後半~3万円台前半と言われています。

これは全産業・全年代を含んだ平均であり、企業規模や地域によっても差がありました。

電産型賃金は、この平均給与を「生活保障」という視点で、年齢や家族構成に応じて適切に配分する考え方だったと言えるでしょう。


電産型賃金が日本の賃金制度に与えた影響と現代への示唆

電産型賃金は、戦後の日本社会において、労働者の生活安定と企業の成長を支える上で非常に重要な役割を果たしました。

  1. 労働者の生活安定と社会貢献: 混乱期に労働者の生活を支え、社会の安定に貢献しました。
  2. 労働組合主導の画期的な事例: 労働組合が自ら賃金体系を策定し、経営側に認めさせた点で、日本の労働運動史においても特筆すべき出来事です。
  3. 現代の賃金制度の基盤構築: 複雑だった賃金構造を整理し、現在の基本給や各種手当からなる賃金体系の基礎を築きました。

電産型賃金は、その後多くの企業や官公庁に波及し、高度経済成長期の日本型雇用システム(終身雇用・年功序列)を支える重要な柱となりました。

しかし、経済のグローバル化や働き方の多様化が進む現代では、電産型賃金のような「生活保障」を前面に出した賃金制度から、個人の成果能力をより重視する成果主義賃金職務給への移行が多くの企業で進んでいます。

まとめ:過去を知り、未来の人事戦略を考える

電産型賃金は、戦後の混乱期に労働者の生活を守るために生まれた、日本の賃金制度における重要なルーツです。その考え方は、高度経済成長期の日本型雇用システムの基盤となり、企業の成長を支えました。

現代においては、社会や経済の変化に伴い、より個人の能力や成果にフォーカスした賃金制度への転換が求められています。

しかし、だからといって電産型賃金の歴史的意義が薄れるわけではありません。

過去の賃金制度の成り立ちを理解することで、なぜ今の賃金制度がこうなっているのか、そして今後、どのような方向性で人事戦略を構築していくべきなのか、より深く考えるヒントが得られるはずです。

この「電産型賃金」の視点を取り入れて、賃金制度の歴史を振り返り、現代に合ったより良い人事戦略を検討してみてはいかがでしょうか。

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